2011年06月19日

介護保険は次善の策

吉本隆明の『老いの幸福論』という本を呼んだ。吉本隆明は私にとって吉本ばななのお父さんという認識しかない。なので他の著書は読んだことがない。なんで『老いの幸福論』を読もうと思ったかというと、どこかで哲学者・小浜逸郎が師匠である吉本隆明になにか意見を言って、すごい罵詈雑言を吉本から浴びせられ、側にいた人がしきりに小浜に同情していたという話を聞いたからである。私はそのとき「老害」という言葉を思い浮かべた。著名な思想家らしいが、そんな人でも年をとって人から意見されると、そんなふうに我を忘れてまわりも見えなくなってしまうんだな、いやだね〜と思ったのだ。そのクソじじい吉本(88歳ぐらいみたいです)が「老い」について書いているので、興味を持ち読んでみたのだ。クソじじい吉本隆明の書いた老いについての本は非常に面白かった。介護保険についても書かれているのでそこのところをちょっと紹介します。介護保険というのはとにかく、画期的なもの、すごいもの、救世主!というように鳴り物入りでスタートしている。だもんで、1回目の改正の時には、こんははずじゃなかったのに〜〜となり、キツ〜イ締め付けとなった。今後ますます使いにくくなるようだ。それは困るのだけど、そもそも介護保険はそれほど素晴らしいものだったのか?って話です。

官公庁が雇った人が介護して、という形は、本当に仕方なくひねり出したものでしかありません。確かに仕方ない。市民がやるわけはないし、子どもだってやりたがらないのに、まして他人がやるわけないじゃないかと思います。じゃあ、どうするんだとなったら、介護保険みたいな次善の策しか考えられないんです。

次善の策とはいいですね。仕方なく、しょーことなくですね。ただ、正々堂々とそんなことを言うわけにはいかないんで、介護の社会性だとか、画期的な制度とか言ってるわけで、それをいい大人までが間に受けて…
真剣に真面目に取り組んでいる人たちも多いのはわかっていますが、乗せられている人、踊らされている人が多いのも事実で。自分が考えたわけでもないのに厚労省がユニットだ!と言えば、ユニットこそが真のケアと本気で思ってみたり、小規模多機能だ!と言えば、小規模こそが真の地域ケアと意気込んでみたり…家族のほうも期待しすぎたかもしれません。もちっと斜に構えていたほうがよかったかもしれないです。
吉本隆明は老親問題も育児問題もいっしょ、老人ホーム、託児所にまかせたつもりになるなと言ってます。クソじじいとか、老害とか言いましたが、まだしっかりしてるんですね。
posted by カイゴのみょんみょん at 21:16| Comment(0) | 介護保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

介護保険は日本人には適していないのだろうか

私が介護の仕事に就いてそろそろ5年になります。介護という言葉に対し何の疑問も抵抗もなく、ごくフツ〜に使っていました。特に意味を調べることも考えることもなく、体が不自由な人の手伝いだなぐらいのかんじでいました。なので作家の浅田次郎が介護について書いているのを読んで、ちょっと介護について考えてみようと思いました。

私は介護という言葉が余り好きではない。冷ややかな社会性を感ずるからである。子が親に孝養を尽くすのは当たり前で、まして家長たる男にとってそれは明らかな人生の一部である。どうやら日本は魂までもアメリカに占領されてしまって、太古から続く儒教的モラルをすべて放棄してしまったらしい。そもそも孝の精神が欠落しているから、改めて介護という社会的用語を用意しなければならなかったのだろう。アメリカ社会には「家」の概念がなく、「夫婦」が家族の単位である。子どもらは結婚と共にみな独立して別の家族となる。だから配偶者に先立たれた老人の余生はわびしい。介護という言葉はそうした社会において、「すでに他人となった親の面倒を見る」というアメリカ的な義務をさしているのではなかろうか。『二人の女』より

介護施設に勤務して思うのは、面会の少なさだ。私は以前、児童養護施設に勤務していたのだが、そこと同じくらい老人ホームは家族の面会が少ない。多い人もいるんだが、それは圧倒的に少数派だ。年に数回おおぜいで押しかけるかハンコだけ押しにくるという家族がほとんどだ。在宅が限界だから施設に入所するのだろうし、在宅ではずいぶん大変だったに違いない。入所できてホッとしただろう。だが、入所後の面会の少なさはちょっと意外だった。個人主義の欧米でも、離れて暮らしてはいてももっと頻繁に会うのではないかと思う。家族にとってはせいいっぱいなのかもしれないが、だとしたらずいぶんキャパシティが小さいと思う。介という字を調べると、仲立ちする、助ける、へだてるとある。浅田次郎が感じる冷ややかさというのは「へだてる」だろうか。日本人は欧米人のような距離感がつかめないのかもしれない。だから一旦他人に委ねしまうとまかせっきりになってしまうのだろうか。一方他人に頼めなくて全てを一人で背負いこんで、燃え尽きてしまったり。介護保険は鳴り物入りでスタートし、今ではなくてはならぬものになってしまったが、早まったのだろうか。見本としたドイツの介護保険では、不服申し立てが多かったと聞くが、不服を言うことができるなんて思いもしないのが日本人である。日本人に適したやり方はあるだろうか。
posted by カイゴのみょんみょん at 20:17| Comment(0) | 介護保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

利用者を自己実現の手段にするな!

法人が来年3月に小規模多機能施設をオープンさせることに決まった。現在建設中とのこと。今私が勤務しているのは従来型の特養である。他にユニット型の特養もある。ユニット型に勤務する50代半ばの男性職員が、新施設オープンにずいぶん意欲を見せている。というか、暴走している。「オレはここの利用者なんかもうどうでもいい。オレは新しいとこでがんばる」というようなことを公言してはばからないらしい。すでに打診があったのかどうかしらないが、ほとんど責任者気取りで、仕切る気十分である。この男性職員はユニット型ができるときにも、まっさきに名乗りを上げたらしい。私が最初に働いたのはユニット型で、そのときユニットリーダーだったのがこの男性職員である。ユニット研修なるものに一番最初に参加し、帰って来た後はまるで熱病にかかったみたいに、ユニットケアとは〜と、口角泡飛ばして理想論を語っていた。ご飯を炊かないのはユニットケアとは言えん!と大騒ぎして、ご飯をフロアで炊くことになった。各ユニットで炊くのが「ほんとう」らしいが、何が何でも「ご飯を炊く」ことを実現させたかった彼は妥協したのだ。これを「平成の米騒動」と皆は呼ぶ。ここ1〜2年は8時間夜勤に強いこだわりを持っている。8時間夜勤をするのがユニットケアというもんじゃ!それが嫌なやつはやめればいい!と鼻息が荒い。やることなすこと皆から反対され、自分の思うように事が運ばず面白くない毎日が続いていたところに新しい施設設立の話である。嬉しい気持ちはよくわかる。でも「ここの利用者なんかどうでもいい」ってどうなのさ。あんた、ゲームみたいにリセットする気?できる気でいるわけ?この人は家庭がうまくいってないらしく、いろんな人に奥さんのことをこぼしている。二人が一緒の休みの日は間が持たず、必ずどちらかが出掛けるそうだ。最近は子どもも独立してしまったため、家に居られないのか、公休日にも職場にしょっちゅう来るらしく皆辟易しているとのこと。私は彼が家庭的ケアとバカの一つ覚えのように言うたび、ああ、この人はうまくいかない自分の家庭の代わりが欲しいんだな…と密かに彼を哀れんだ。テレビでかつての同僚が活躍しているのを見て、「オレはオムツ屋なんに…」と自嘲気味に言っていたこともあった。そうかと思えば「あいつも偉なったもんやの〜」と皮肉を言ってみたり。60を前にして、焦っているのかもしれない。オレの人生こんなんでいいんか?なんか成し遂げたか?今のままではヤバイ…そば打ち男になるだけか…(私の勝手な想像)とかなんとか思っているのかもしれない。だけどそれがどうしたっていうのよ?利用者はあんたの自己実現のための手段なの?ユニットケアも小規模多機能も、あなたの、あなたによる、あなたのための自己実現の材料なの?もう同情はせん!
posted by カイゴのみょんみょん at 18:21| Comment(0) | 介護職員 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月16日

介護職員は幼稚園児です!悪しからず。

ある介護掲示板で利用者さんに対する言葉遣いについて議論が繰り広げられている。呼び捨てやあだ名、ちゃんづけは言語道断であるという点においては皆同じ考えのようだ。そのうえで、「さん」もいかん、相手はお客様なんだから「様」で呼ぶのがプロというもの。いやいや「様」はそう呼ばれた利用者さんが違和感を覚えるのではないか、「さん」でも失礼ではないし普通なのではないか…といった意見。一方で、言葉遣いをいくら直しても心が利用者に向いてていないとダメ、倫理観や理念の浸透が大事、極端な話多少言葉が稚拙で汚くても、心が相手に向いていればそれで問題なしという意見もあり、それに対し言葉遣いが荒い人で高い理念を持って対人援助ができる人はそう多くはないと反論があり、またそれに対して反論があり……もーっ、じれったい。議論が全然噛み合っていなくてはがゆいです。私も参戦したくなってきたのですが、うまくみんなに伝えられそうにないので自分のブログで整理してみることにします。私はその掲示板の管理者の方の意見に全面的に賛成です。かなり厳しくきつい言い方はされていますが、問題の根本をわかっており、すっきりしています。

個別性への対応と、プロとして、一定レベル以上のサービスの質を担保するということは別に考えねばならないのです。個別性やケースバイケースという理屈でいかにこの業界のサービスの質が停滞してきたことか。低きに、楽な方に流れがちな人間の姿勢を、ある一定の条件下である一定のルールを決めて防ぐということは介護サービスの意味ならず、すべての職業で必要なんです。

逆に言えば、悪意はなくともこのような理屈を主張する人々によって介護サービスは亭は医師続けてきたんです。それは非常に罪深い事だと思います。


これは介護業界の言葉だけのことじゃないですよね。なんでもそうですよね。例えばいじめの問題ですが、いじめられるほうにも問題あるってやつ、そりゃそうでしょあるでしょ、おそらく。でもそのことと、いじめはよくないということは全く別の問題です。いじめられるほうに問題があろうがなかろうが、いじめる側が100%悪い、そういう考えでいかないといじめられる側に問題があるのだからいじめてもよいということになってしまうのです。掲示板の議論を見ていると、このような点を混同している人がいてほんとはがゆいです。管理者の方は、ええいじれったい、masaさんです。三好春樹さんが言葉遣いの強制について言ってることに対して、厳しく批判していました。三好さんは言葉遣いだけ丁寧でもダメというようなことを言っているのです。私は三好さんの講演に行ったことがあるし、本もよく読んでいます。masaさん同様その功績は十分認めています。けれども三好さんの言葉に対する考え方には賛成できません。現状をわかっていないといえば言い過ぎでしょうが、三好さんの言ってることは、幼稚園児に高等数学を教えているようなものです。言葉に限っていえば、介護職員は幼稚園児です。きちんとあいさつをしましょう、丁寧な言葉を使いましょう、これをまず徹底しなければならないのが介護職員なのです。幼稚園では園長は子どもに対し、おはようございますと丁寧にあいさつをします。園児同士も朝とお帰りの会には皆さんおはようございます、さようならと形式ばったあいさつをします。なぜなら子どもはケースバイケースなどわからないからです。まずきちんとした丁寧な言葉を覚えて、それができるようになったら時と場合によって変化させるのです。くどいようですが、今の介護現場は幼稚園で介護職員は幼稚園児です。まさしく呑気な理想論を唱えている場合ではないのです。以上!
posted by カイゴのみょんみょん at 22:20| Comment(1) | 言葉遣い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

自分の姿

今の自分にとってすごく怖い、まるで自分自身の姿を突きつけられているようなブログをみつけた。鹿児島県で介護の仕事をしているryyohrさんの、「自分の歴史」から(勝手に)転載します。

就職してすぐの頃こそ、利用者には敬語を使い、気を使っていたけど、

仕事に慣れてくるにつれ、だんだんと、利用者をまともな人間として扱わないようになった。

仕事を早く終わらせるために、作業的に、やることだけを効率よくする。



オムツ交換は誰よりも早かった。

カーテンをピシャーッと閉め、

声かけもしなかったり、したと同時に布団を引っぺがして、ズボンとパンツを同時に勢いよく下ろし、右を向け左を向け、とにかく手際よく終わらせた。



食事への誘導も自分1人で20分くらいで何十人と起こしたりもしてた。

ベッドから力づくで、できるだけ速く、車いすに乗せてた。



それでも注意する人はいなかったし、職員みんながそういう感じで、だれが仕事をはやく終えるか競争みたいなことになってた。

僕は、他の職員から、

「ryyohr君は仕事が早いから、一緒になると楽だ。」

なんてよく言われてたし、それで、図にのってた。



おやつや食事介助にときなんか、どっちが早く食べさせ終わるか競争、とかしてた。



経管栄養の方をみて、

「こんな状態の人を、なんで生かしておくんだろう?」

「誰が得をしてるんだ?」

と思っていた。



年寄りにはなりたくないし、こんなことになるんなら、若いうちに好きなこと好きなだけやって、さっさと死んでしまった方がマシだ、と思ってた。

大体、昔から、

“冷めた目で物事をみている”

“感情を表に出さない”
“何考えてるのか分からない、変わったやつ”

“他人が躊躇するようなことを平気で言う”

とか言われてたので、もともと、介護とか福祉の雰囲気にそぐわない人だったとも思う。



10年くらい前の自分はそんなんだった。



今、自分の目の前に、10年前の自分のような職員がいたら、多分手が出るな。

権限はなくとも、「辞めろ」と言うと思う。

「あんたはこの仕事に向いてない」と。



なんてヒドイことをしてたんだろう。

思い出す度怖くなるほどに。



今は施設のケアマネジャーで、自立支援だとか尊厳だとか、自己選択・自己決定だとか色々職場で偉そうなこと言ってるけど、過去、こういう人間だった。


ryyohrさんはかつてひどい介護士だったけど今は違う。見込みのないヤツなんていないと言う。私は4年間介護士として働いてきて、それほどひどい職員だったとは実のところ思っていなかった。むしろよくやってたほうだという自負さえあったくらいだ。最悪だと思う状況の中で、自分なりにがんばってきたと思う。だがそれは自己満足、独り相撲だったみたいだ。そして今、さらに最悪な状況にいるが、「見込みのないヤツはいない」と、現場を変えようとしているだろうか?していない。愚痴ってるだけだ。しかもすっかりその最悪な状況に慣れきっている。なぜってラクだからだ。2年間限定でがんばろうと思っていたが、何もできない、する気がないのなら続ける必要などないのだ。
posted by カイゴのみょんみょん at 12:05| Comment(0) | 介護職員 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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