2011年10月13日

過労死こそないものの

先月、古本屋で『過労死と企業の責任』という、20年ほど前に出版された本を見つけた。過去の労働法については前々から興味があった。20年前といえば、時代はバブルが崩壊した頃である。1984年から1994年までの(10年間)、過労死の労災認定件数が出ているのだが、申請数に対し、認定数は1〜2割ほどである(平均)。申請数は400〜500ほどだ。バブルの絶頂期には800ほどになっている。平成20年度は900件ほど申請があり半数に認定がおりている。これは労災が認められるようになったということなのか。それとも過労死が増えたということか。両方かもしれない。

著者は労災認定の少なさを分析し、労働省(現・厚生労働省)と企業を厳しく糾弾している。

労働省が恐れているのは、保険財政問題以上に、労災認定がもたらす職場への影響であると思う。ある事件で業務上認定が出るということは、被災者の労働条件が過酷であったことを意味し、それは多くの場合、単に被災者個人の問題にとどまらず職場全体の労働条件の過酷さを意味する。したがって、労災業務上認定の効果は、狭い意味では保険金の支給という金銭面に限られるが、実際には、職場の労働条件の改善をうながす効果を生み出す。したがって、過労死の業務上認定の大幅増は、労働省が、日本の大企業を先頭とした職場の実態に正面から批判を加えることを意味する。このことは、過重な労働を当然のこととしている、多くの日本企業の労務管理の根底を揺るがしていく事態になりかねない。              弁護士・川人博


これって、まさに介護現場のことじゃないか?介護士は過労死こそしないが(死ぬ前に逃げ出したり、死ぬのはお年寄りだったり…かな?)過重労働を強いられている。前回グループホームにおける一人夜勤の休憩について書いたが、もしもこれを休憩と認めないとなったら、GHは存続が危ぶまれる。そうなるとGHを推し進めてきた厚労省は困る。失敗でした、ごめんなさいなどとは死んでも言わないだろう。過重労働に目をつぶらざるを得ない。介護士が夜間起きてくるお年寄りの世話をするのは、好意などのボランティアではない。しなければならない業務だ。つまり休憩時間は待機時間であり使用者の指揮、命令下にあるに決まってるじゃないか。それを厚労省計画化は「緊急事態が起こらない限り、就労しないことが保証されている時間帯」などと労基法を強引に捻じ曲げて解釈しているんじゃないか。省令は各省庁が法律をこのように解釈した、というものだが、どんな解釈をされても省庁の言うことだから黙って従えというのか?

川人さんは、過労死の認定がおりないと、「労基署が労災でないと決定したのだから」との理由で、単に労災保険の不支給にとどまらず、企業としての一切の責任が免責されてしまっている、とも指摘している。過労死が発生した後の職場改善においても、企業は、労災でないといって真剣に取り組まないのである、とのことだ。

法令遵守とよく言われる。法令に沿っている、法律に則っている。それは法治国家である以上当然である。しかし、敢えて言いたい。法律とは、道徳・倫理の下の下、最低ラインを示したものじゃないか。強者と弱者の間に公平な制度を置けば、それは強者を利すると言ったのは、森永砒素入りミルク事件を担当した弁護士・中坊公平である。100歩譲って法律を公平としているが、法律はそもそも公平などではない。法は正義ではなく、力であることは私でさえ知っている。そんな法律を楯にとって、法律で決まっているからというのは、合点が行きませぬ。
posted by カイゴのみょんみょん at 21:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月12日

労務管理は絵に描いた餅ではない

特別養護老人ホーム緑風園の掲示板に興味深いスレッドがあった。グループホームの管理者(たぶん)が、夜勤1名の場合休憩は外出可能の扱いとなるため、勤務時間としなければならないという指摘を受け、困っているというような内容である。つまり休憩なしで働かせていることになるため、労基法違反になってしまう、そうならないためには代替職員を立てねばならなくなるが、GHの現状としてそれは難しいということだ。これに対し、管理者のmasaさんが、厚労省計画課から出されている通知を挙げて説明している。
 
 @ 少なくとも1時間の休憩を労働時間の途中に与えなければならない
 A @の場合、次に挙げる条件が満たされていれば、1名以上の職員に夜間の業務を行わせているとしてよい
   
   1、事業所内で過ごすこと
   2、外出する場合余裕を持って使用者に伝え、使用者は交代要員を確保する
 
 B 就業規則に休憩時間帯を明記する

当該時間帯は当該介護従事者が就労しないことが保証されている時間帯であるが、仮に入居者の容態の急変等に対応して介護者が労働した場合には、その要した時間に相当する時間を別途休憩時間として取得する必要がある。その場合はそのことを記録しておくことが望ましい。とある。

つまり、指摘は間違っている。一人夜勤で深夜帯に休憩をとっても必ず事業所内にいれば、交代要員を配置せずともよい。ということだ。

これに対し、GHの現場職員からは、納得できないという意見が出ている。指摘内容云々ではなく、厚労省の解釈に対してである。「就労しないことが保証されている時間帯」というが、一人で勤務していれば、休憩といえども、トイレの対応などしなければならない。後でその分休憩を取ればよいというが、そんな時間はなかなか確保できない…等々。
私もこの部分ひっかかる。そもそも厚労省は、緊急事態だけが休憩を阻害するものと思っている、というか決めてかかっているが(そうしないことには話が進まないからだ)現場職員にとっては、ナースコール、トイレ、徘徊などあらゆることへの対応が休憩の阻害となる。

これらに対し、masaさんは、厚労省計画化から出されている通知では解釈は明らか。釈然としない方は、厚労省に直接問いたださないとどうしようもないと返答している。休憩時間の利用についても、必要な制限を加えることは、休憩の目的を損なわない限り差し支えないとされている。つまり通知内容は法令に沿っているということだ。

masaさんの論点が、厚労省の通知内容が労基法に則ったものであるかどうかということであるのに対し、現場職員の論点は、通知内容が現状をわかっていない役人の絵に描いたもちではないかということだ。労基法に則ったものかどうかは、私はグレーであると思う。スレッドにも書かれているが、待機時間が勤務時間に当たるとする判例(最高裁の判決)は多い。問題となるのは、その「休憩時間」は「待機時間・使用者の命令下」にあるかどうかだ。施設による違いはあるだろうが、一人夜勤の休憩時間はそれに当たらないだろうか。masaさんは、裁判となって司法の場でどう判断されるかということについては個別の事案なのでどうこう言えないというのがグレーとして残る部分である、と言っている。だが、いちいち裁判おこして争ってみないことには判断つかないというのでは、介護者が救われないというよりも、利用者にしわ寄せが行くように思う。
それと、労務管理というのは、余裕のある事業所はやりましょうね〜というものではない。努力義務でも配慮義務でもなく、使用者がやらねばならない義務である。労働者のほうも、うちの会社そんな余裕ないからね〜と甘んじているのは、介護施設の場合、労働者よりも入所者に大きな被害をもたらす。労務に関しては使用者と労働者ははなっから立場が違うのだから、対立は当然なのだ。そこを、それこそ入所者のために折り合いをつけ、協調していかなければならない。それを絵に描いた餅というなら、その絵を眺めているしかない。
posted by カイゴのみょんみょん at 09:31| Comment(0) | 介護保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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