2012年04月14日

早くも壁にぶつかる

もう壁に突き当たった…まだ一人前に仕事ができないのに…
というか半人前ゆえの壁なのかもしれないが。
私が勤務する事業所は訪問介護事業もやっていて、同じフロアで机を並べている。電話番号も同じである。かけてくる人にとっては、訪問介護事業所にかけたら居宅ケアマネが電話を取り、居宅介護に電話をかけたら訪問介護の担当者が電話を取るということがよくある。わかっている人はわかっているからわかるのだろうけど、わかってない人はよくわからないけどいいか、というかんじなのだろうか。同じように二つの事業を行っているところからの電話を自分が受けるときはまだ混乱してしまう。訪問看護からの電話なので、ケアマネあてだろうと思っていたら、居宅介護支援もやってるので、ケアマネ(看護師)が訪問介護のことで電話をかけているのである。今にわかるようになる、慣れたらわかると先輩に言われたが、確かに私は慣れればわかるようになると思う。だが、利用者やその家族はずーっとわからないままなのではないか。わからないからサービスをキャンセルするときなど、直接サービス事業所に言えばいいのかケアマネに言えばいいのか迷うのではないだろうか。訪問介護に電話したらたまたまケアマネが出て、わかりましたよ〜と返事すれば、??と思いつつも、ケアマネに言えばいいのか…と思うだろうし。それに、なによりも訪問介護のヘルパーやサ責(サービス担当責任者)との関係がうまくつかめない。訪問介護サービスは当然同じ事業所のものを使う。利用者に要望を聞くまでもない。利用者は特に希望もないか、ケアマネと同じとこなら便利でいいと思っているかもしれない。ヘルパーは困ったことがあったり、判断に迷うことがあったりすると事業所に連絡してくる。それを受けたサ責が、ケアマネ業務に関することだろうと医療的な判断に関することだろうとなんでもケアマネに投げてくる。ケアマネがすぐそこにいるからだ。どこの事業所でも同じなのだろうか。私はケアマネをしながら訪問介護もやるので、そのことで疑問に思ったことを聞くと、ケアマネからこんなことを言われた、これはサ責のやるべき仕事なのかと他のケアマネに相談したりする。きちんと伝わっていなかったということだが、同じ事業所だからこんなことが起きるのか…先輩からは、全く別の事業所と思ってやらないとダメだと言われるが、当然のようにサービスに入れながら、机を並べながら、そんな器用なことができるものだろうか?他の人たちはできているのか?
posted by カイゴのみょんみょん at 09:45| Comment(2) | ケアマネ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月01日

在宅ってなんのため?誰のため?

この1ヶ月間、居宅介護のケアマネ及び訪問ヘルパーとして在宅支援にかかわって思うことがある。介護保険制度では、要介護状態になっても住みなれた地域で、家庭生活を送ることができるというのが目的みたいになっている。美しい理念であると思う。でも住み慣れた地域って?家庭生活って?っと思わざるを得ない現実がある。私が担当している区域は郡部にある町で、昔から住んでいる在所の農家の人たちと、新しく移住してきた人たちが入り混じっている。新しい住民たちの人間関係が希薄なのは想像通りであるが(家族も近所などの他人も)昔からの人たちも変らないのだ。私が小さかった頃とは、田舎であってもすっかり変ってしまったのである。なのにそのことを認めていないというか、わかっていないというか、自分勝手な田舎賛美をしている人がいる。おじいちゃん、おばあちゃんを施設に入れていない、介護サービスを利用していない=「家でみている」とするのである。あの状態でよくみているといったかんじだ。「家にいる」ことが「(家族は)ちゃんとみている」ことになるのだろうか。施設に入れることが介護放棄や見捨てるということなのだろうか。在宅重視でいくということは、コストダウンが本当の理由であったとしても、「本人の思いや希望」が前提にはあるはずである。だが、本当のところ、家族はどう思っているのだろうか。ただなら施設に入れたいのだろうか?なぜこんなふうに思うかというと、在宅老人たちに対する家族の無関心さに正直驚いているからである。「家にいる」のは老人たちの心身の状態をわかっておらず、生活が崩れてきているのに、そのことに気づかなかったり気づいてはいるけれど自分のことに忙しくてつい後回しになっているからではないのか。そして介護サービスが介入してもやはり無関心なのである。ただ同じ屋根の下にいるだけ、というかんじがする。独居、核家族というと、孤独で寂しいというイメージがあるが、大家族であってもそれは変らず、むしろいっしょにいながら心は全く通わない分、薄ら寒い。以前、独居老人よりも家族と同居している老人のほうが自殺率は高いということを聞き、訝しんだが、なんとなくわかる気がした…実際、独居の人より家族と同居してる老人のほうがよほど気の毒に感じる。なんでって、介護保険じゃ家族はインフォーマル資源として「使える」と思われているからサービスが制限されてしまうのだ。退職年金とかもらってる独身独居老人はサービスけっこう手厚いぞ…
posted by カイゴのみょんみょん at 19:52| Comment(0) | ケアマネ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

右も左もわからない新人ケアマネですが

居宅介護支援事業所で新人ケアマネとして働き始めて1ヶ月が経つ。試験に受かって実務研修を受けただけの私には、居宅支援はまったく右も左もわからず、ただ右往左往の1ヶ月であった。訪問介護事業も併設しているので、時々訪問ヘルパーもやっている。ケアマネ業務とヘルパー業務の両方を覚えなければいけないので大変ではあるが、居宅の経験が全くない私にはいい勉強になっている。同じ施設(特養)に5年いただけで居宅のケアマネになった私には、良くも悪くも居宅介護支援は驚くことばかりである。例えば、30分の身体介護でおむつ交換だけをすればいいというのは、正直なところ時間とお金の無駄だなとつい思ってしまった。そのときはたまたま排便がなかったので手間取らなかっただけなのだけど…時間内に何人もの利用者のおむつ交換をこなさなければならない施設と(排便だったからと言って時間オーバーは許されないのが施設の介護だったので。人的余裕がないからだけど)引き比べてしまう。生活介護にしても、利用者の自立を促すというのを前提に、いっしょに何を買うか決めてヘルパーが買い物に行くわけだが、相談なんかしないことも多い。それでも利用社宅に到着後、あらためて買い物に出掛けるのはほんと時間とお金の無駄に感じてしまった。在宅はお金がかかるというが、これではお金や時間がいくらあっても足りないなとも思う。もちろん骨の髄から施設職員の私がなにもわからないでただ言ってるだけである。今後考えは変っていくだろうが、今のところこう思っている。管理者からは、利用者宅でおかしいと思うことがあっても(家が汚いとか、明らかに不合理なことなどに対して)指摘するな、直すなと最初に言われた。利用者尊重の立場からは当然である。他のケアマネからも同じように言われた。だが、それも私には放置の言い訳のように感じた。社会資源の情報提供、利用者の説得、どれもきちんとやろうと思えば手間ひまかかり、報酬に反映されなければやりたくないことだ。完全歩合制のフリー契約で働いている職場なので、私も遅かれ早かれ給付管理など、最低限法律で規定されていることだけをしていればよしとなるのかもしれない。
posted by カイゴのみょんみょん at 09:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。