2010年10月25日

警察官がやってきた…

先週の夜勤入りの日、朝の申し送り用紙を読んで仰天した。警察の現場検証?があったとのこと。あるユニットの利用者の胸から肩にかけて大きな皮下出血ができていて、家族からクレームがあり、大騒ぎだったことは知っていた。夜中の1時頃までユニットの職員全員が残っていたことも聞いていた。だが、家族が警察まで呼んでいたことは知らなかった。いったいどれほどの外傷だったのか。今後のために是が非でも確認しておかねばと思い、すぐに当該ユニットまで行き、利用者さんの体を確認した。1週間ほど経過した後のようで、すでに皮下出血は黄色くなっていた。家族が発見したときには、まだ赤紫色だったであろうと思われる。家族が見れば、虐待か!?と思わないでもない、わりと広範囲にわたる皮下出血である。だが正直なところ、私は今までこの程度の皮下出血は何度かみたことがある。もっとひどいのも、実は自分の担当ユニットで見たことがある。誰ひとりとして、少なくとも表向きは問題にしていなかった。なぜなら、家族が知らなかったからだ。下腹部から内腿にかけてという箇所だったこともあり、面会にはよく来る家族であったが、トイレの介助は職員まかせであったので、知る由もなかったのだ。知らなければ騒ぎようもないし、たとえ知っていても、黙って引き下がるしかないと思う家族もいるだろう。ほかの事故も似たようなものだと思う。事故報告書は書いて提出されたが、ただそれだけである。今回のこの警察騒ぎで、やれ連絡体制がどうの、記録は詳細に書け(何ヶ月か前に、日々の決まりきったことは書くな、何かあった時だけ書けばよいなどと看護部長より通達があったのだが)利用者に対する言葉使いや態度に気をつけろと書かれた事故報告書のようなものが全ユニットに配布された。この事件で2つのことが身に沁みた。まず、たまたま自分の担当ユニットではなかっただけで、自分も当事者になる可能性は大であると思った。警察沙汰になったのは自分の担当するユニットであったかもしれないのだ。決して特殊な、特にひどいインシデントというわけではないのだから。他人事ではない。当たり前のことなのに、今頃になってようやく人の体を扱う仕事なんだ、丁寧に扱わなければいけないのだと実感した。もう一つは、事の重大さというのは当事者や家族がどれだけ騒ぐかということで決まってくるのだと妙に冷めた気持で思った。今さら何を、と思う人もいるだろう。私はぼんやりしているので、薄々ぼんやりとは感じていたのだが、今回の事件がなかったらまだ、施設側の一分の良心や倫理を信じていたかもしれない。皮下出血か、骨折か、入院か、死亡か、そんなことはもはや問題ではない。痰や飲食物を詰まらせた窒息死であっても関連病院に搬送されれば、心不全だかなんだか知らないがもっともらしい死因になるのだ。家族が納得すれば、はい終了。記録の改ざんも嘘の報告も聞いて聞かぬフリ、見て見ぬフリ、噂は巡るが、施設トップは頬っかぶりである。最後の審判が下される時、私はまだまごまごとこの施設でくすぶっているのだろうか、遠い先の話ではなく、すでに間近に迫っているのだろうか…
posted by カイゴのみょんみょん at 10:53| Comment(1) | 介護事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どこも一緒。最低
Posted by at 2016年02月27日 06:32
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。