2012年04月01日

在宅ってなんのため?誰のため?

この1ヶ月間、居宅介護のケアマネ及び訪問ヘルパーとして在宅支援にかかわって思うことがある。介護保険制度では、要介護状態になっても住みなれた地域で、家庭生活を送ることができるというのが目的みたいになっている。美しい理念であると思う。でも住み慣れた地域って?家庭生活って?っと思わざるを得ない現実がある。私が担当している区域は郡部にある町で、昔から住んでいる在所の農家の人たちと、新しく移住してきた人たちが入り混じっている。新しい住民たちの人間関係が希薄なのは想像通りであるが(家族も近所などの他人も)昔からの人たちも変らないのだ。私が小さかった頃とは、田舎であってもすっかり変ってしまったのである。なのにそのことを認めていないというか、わかっていないというか、自分勝手な田舎賛美をしている人がいる。おじいちゃん、おばあちゃんを施設に入れていない、介護サービスを利用していない=「家でみている」とするのである。あの状態でよくみているといったかんじだ。「家にいる」ことが「(家族は)ちゃんとみている」ことになるのだろうか。施設に入れることが介護放棄や見捨てるということなのだろうか。在宅重視でいくということは、コストダウンが本当の理由であったとしても、「本人の思いや希望」が前提にはあるはずである。だが、本当のところ、家族はどう思っているのだろうか。ただなら施設に入れたいのだろうか?なぜこんなふうに思うかというと、在宅老人たちに対する家族の無関心さに正直驚いているからである。「家にいる」のは老人たちの心身の状態をわかっておらず、生活が崩れてきているのに、そのことに気づかなかったり気づいてはいるけれど自分のことに忙しくてつい後回しになっているからではないのか。そして介護サービスが介入してもやはり無関心なのである。ただ同じ屋根の下にいるだけ、というかんじがする。独居、核家族というと、孤独で寂しいというイメージがあるが、大家族であってもそれは変らず、むしろいっしょにいながら心は全く通わない分、薄ら寒い。以前、独居老人よりも家族と同居している老人のほうが自殺率は高いということを聞き、訝しんだが、なんとなくわかる気がした…実際、独居の人より家族と同居してる老人のほうがよほど気の毒に感じる。なんでって、介護保険じゃ家族はインフォーマル資源として「使える」と思われているからサービスが制限されてしまうのだ。退職年金とかもらってる独身独居老人はサービスけっこう手厚いぞ…
posted by カイゴのみょんみょん at 19:52| Comment(0) | ケアマネ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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