2011年10月12日

労務管理は絵に描いた餅ではない

特別養護老人ホーム緑風園の掲示板に興味深いスレッドがあった。グループホームの管理者(たぶん)が、夜勤1名の場合休憩は外出可能の扱いとなるため、勤務時間としなければならないという指摘を受け、困っているというような内容である。つまり休憩なしで働かせていることになるため、労基法違反になってしまう、そうならないためには代替職員を立てねばならなくなるが、GHの現状としてそれは難しいということだ。これに対し、管理者のmasaさんが、厚労省計画課から出されている通知を挙げて説明している。
 
 @ 少なくとも1時間の休憩を労働時間の途中に与えなければならない
 A @の場合、次に挙げる条件が満たされていれば、1名以上の職員に夜間の業務を行わせているとしてよい
   
   1、事業所内で過ごすこと
   2、外出する場合余裕を持って使用者に伝え、使用者は交代要員を確保する
 
 B 就業規則に休憩時間帯を明記する

当該時間帯は当該介護従事者が就労しないことが保証されている時間帯であるが、仮に入居者の容態の急変等に対応して介護者が労働した場合には、その要した時間に相当する時間を別途休憩時間として取得する必要がある。その場合はそのことを記録しておくことが望ましい。とある。

つまり、指摘は間違っている。一人夜勤で深夜帯に休憩をとっても必ず事業所内にいれば、交代要員を配置せずともよい。ということだ。

これに対し、GHの現場職員からは、納得できないという意見が出ている。指摘内容云々ではなく、厚労省の解釈に対してである。「就労しないことが保証されている時間帯」というが、一人で勤務していれば、休憩といえども、トイレの対応などしなければならない。後でその分休憩を取ればよいというが、そんな時間はなかなか確保できない…等々。
私もこの部分ひっかかる。そもそも厚労省は、緊急事態だけが休憩を阻害するものと思っている、というか決めてかかっているが(そうしないことには話が進まないからだ)現場職員にとっては、ナースコール、トイレ、徘徊などあらゆることへの対応が休憩の阻害となる。

これらに対し、masaさんは、厚労省計画化から出されている通知では解釈は明らか。釈然としない方は、厚労省に直接問いたださないとどうしようもないと返答している。休憩時間の利用についても、必要な制限を加えることは、休憩の目的を損なわない限り差し支えないとされている。つまり通知内容は法令に沿っているということだ。

masaさんの論点が、厚労省の通知内容が労基法に則ったものであるかどうかということであるのに対し、現場職員の論点は、通知内容が現状をわかっていない役人の絵に描いたもちではないかということだ。労基法に則ったものかどうかは、私はグレーであると思う。スレッドにも書かれているが、待機時間が勤務時間に当たるとする判例(最高裁の判決)は多い。問題となるのは、その「休憩時間」は「待機時間・使用者の命令下」にあるかどうかだ。施設による違いはあるだろうが、一人夜勤の休憩時間はそれに当たらないだろうか。masaさんは、裁判となって司法の場でどう判断されるかということについては個別の事案なのでどうこう言えないというのがグレーとして残る部分である、と言っている。だが、いちいち裁判おこして争ってみないことには判断つかないというのでは、介護者が救われないというよりも、利用者にしわ寄せが行くように思う。
それと、労務管理というのは、余裕のある事業所はやりましょうね〜というものではない。努力義務でも配慮義務でもなく、使用者がやらねばならない義務である。労働者のほうも、うちの会社そんな余裕ないからね〜と甘んじているのは、介護施設の場合、労働者よりも入所者に大きな被害をもたらす。労務に関しては使用者と労働者ははなっから立場が違うのだから、対立は当然なのだ。そこを、それこそ入所者のために折り合いをつけ、協調していかなければならない。それを絵に描いた餅というなら、その絵を眺めているしかない。
posted by カイゴのみょんみょん at 09:31| Comment(0) | 介護保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月19日

介護保険は次善の策

吉本隆明の『老いの幸福論』という本を呼んだ。吉本隆明は私にとって吉本ばななのお父さんという認識しかない。なので他の著書は読んだことがない。なんで『老いの幸福論』を読もうと思ったかというと、どこかで哲学者・小浜逸郎が師匠である吉本隆明になにか意見を言って、すごい罵詈雑言を吉本から浴びせられ、側にいた人がしきりに小浜に同情していたという話を聞いたからである。私はそのとき「老害」という言葉を思い浮かべた。著名な思想家らしいが、そんな人でも年をとって人から意見されると、そんなふうに我を忘れてまわりも見えなくなってしまうんだな、いやだね〜と思ったのだ。そのクソじじい吉本(88歳ぐらいみたいです)が「老い」について書いているので、興味を持ち読んでみたのだ。クソじじい吉本隆明の書いた老いについての本は非常に面白かった。介護保険についても書かれているのでそこのところをちょっと紹介します。介護保険というのはとにかく、画期的なもの、すごいもの、救世主!というように鳴り物入りでスタートしている。だもんで、1回目の改正の時には、こんははずじゃなかったのに〜〜となり、キツ〜イ締め付けとなった。今後ますます使いにくくなるようだ。それは困るのだけど、そもそも介護保険はそれほど素晴らしいものだったのか?って話です。

官公庁が雇った人が介護して、という形は、本当に仕方なくひねり出したものでしかありません。確かに仕方ない。市民がやるわけはないし、子どもだってやりたがらないのに、まして他人がやるわけないじゃないかと思います。じゃあ、どうするんだとなったら、介護保険みたいな次善の策しか考えられないんです。

次善の策とはいいですね。仕方なく、しょーことなくですね。ただ、正々堂々とそんなことを言うわけにはいかないんで、介護の社会性だとか、画期的な制度とか言ってるわけで、それをいい大人までが間に受けて…
真剣に真面目に取り組んでいる人たちも多いのはわかっていますが、乗せられている人、踊らされている人が多いのも事実で。自分が考えたわけでもないのに厚労省がユニットだ!と言えば、ユニットこそが真のケアと本気で思ってみたり、小規模多機能だ!と言えば、小規模こそが真の地域ケアと意気込んでみたり…家族のほうも期待しすぎたかもしれません。もちっと斜に構えていたほうがよかったかもしれないです。
吉本隆明は老親問題も育児問題もいっしょ、老人ホーム、託児所にまかせたつもりになるなと言ってます。クソじじいとか、老害とか言いましたが、まだしっかりしてるんですね。
posted by カイゴのみょんみょん at 21:16| Comment(0) | 介護保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

介護保険は日本人には適していないのだろうか

私が介護の仕事に就いてそろそろ5年になります。介護という言葉に対し何の疑問も抵抗もなく、ごくフツ〜に使っていました。特に意味を調べることも考えることもなく、体が不自由な人の手伝いだなぐらいのかんじでいました。なので作家の浅田次郎が介護について書いているのを読んで、ちょっと介護について考えてみようと思いました。

私は介護という言葉が余り好きではない。冷ややかな社会性を感ずるからである。子が親に孝養を尽くすのは当たり前で、まして家長たる男にとってそれは明らかな人生の一部である。どうやら日本は魂までもアメリカに占領されてしまって、太古から続く儒教的モラルをすべて放棄してしまったらしい。そもそも孝の精神が欠落しているから、改めて介護という社会的用語を用意しなければならなかったのだろう。アメリカ社会には「家」の概念がなく、「夫婦」が家族の単位である。子どもらは結婚と共にみな独立して別の家族となる。だから配偶者に先立たれた老人の余生はわびしい。介護という言葉はそうした社会において、「すでに他人となった親の面倒を見る」というアメリカ的な義務をさしているのではなかろうか。『二人の女』より

介護施設に勤務して思うのは、面会の少なさだ。私は以前、児童養護施設に勤務していたのだが、そこと同じくらい老人ホームは家族の面会が少ない。多い人もいるんだが、それは圧倒的に少数派だ。年に数回おおぜいで押しかけるかハンコだけ押しにくるという家族がほとんどだ。在宅が限界だから施設に入所するのだろうし、在宅ではずいぶん大変だったに違いない。入所できてホッとしただろう。だが、入所後の面会の少なさはちょっと意外だった。個人主義の欧米でも、離れて暮らしてはいてももっと頻繁に会うのではないかと思う。家族にとってはせいいっぱいなのかもしれないが、だとしたらずいぶんキャパシティが小さいと思う。介という字を調べると、仲立ちする、助ける、へだてるとある。浅田次郎が感じる冷ややかさというのは「へだてる」だろうか。日本人は欧米人のような距離感がつかめないのかもしれない。だから一旦他人に委ねしまうとまかせっきりになってしまうのだろうか。一方他人に頼めなくて全てを一人で背負いこんで、燃え尽きてしまったり。介護保険は鳴り物入りでスタートし、今ではなくてはならぬものになってしまったが、早まったのだろうか。見本としたドイツの介護保険では、不服申し立てが多かったと聞くが、不服を言うことができるなんて思いもしないのが日本人である。日本人に適したやり方はあるだろうか。
posted by カイゴのみょんみょん at 20:17| Comment(0) | 介護保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。