2011年11月07日

 ファイナンシャル・プランナーに学ぶコミュニケーション力

先日ファイナンシャル・プランナー(FP)の継続教育研修に参加した。私はAFP資格という、特に難しくもなく、誰でも取得できるお金に関する資格を持っている。2年前に初めてFP3級、2級を受験し、AFP研修というのを通信教育で受講した。FP1級は実務経験がないと受けられないということなので、先にCFP資格なるものを取得しなければいけないのだが、2分野受けて玉砕だった。(金融資産、リスクマネジメント、不動産など全6分野ある)先日の研修は、FP実務と倫理ということで、コミュニケーションについてだった。わざわざお金を出して受けるほどのことでもないかと思わないでもなかったが、介護の仕事にも関係することだしと考え、受講した。『相談業務の決めて・顧客の心をとらえるコミュニケーション力』というタイトルで、講師は大阪のおばちゃんだったのだが、2000円出した甲斐があった。忘れないうちに内容を復習しておこうと思う。

1.顧客満足とコミュニケーション力

顧客の期待値と行動について

顧客の期待値に対して、実際の製品やサービスが良ければ良い印象として残る。悪ければ悪い印象として残る。同じであれば印象は残らない。つまり、期待以上のことをしなければいけないということだ。私は特養に勤務しているが、客の期待値はおそろしく低い。入れてもらえれば御の字と思われているので、製品もサービスも向上しない。
客は不満をもっても苦情を言わない。クレームをつけるのは不満を持つ人の4%ほど。だが、不満のある人は平均12人に愚痴る。一方満足した人は平均4〜5人に話す。そんなの不公平じゃないか!!と思うが、それが人間の心理だ。

2.コミュニケーションの基本は第一印象

印象を構成する要素

表情はやはり笑顔が大事である。男は笑顔がプラスになるが、女は笑顔が当然と思われているため、笑顔がないと高慢、高飛車などマイナス評価されるそうだ。納得いかん!と、講師のおばちゃんも言っている。わが職場の男はニヤニヤ笑いをよくしており、しまりねえなぁと、私など苦々しく思っていたが、おばあちゃんたちは「笑顔の素敵な人」と思っているのかもしれない。

8.3秒異性と目を合わせると恋が芽生えるらしいので、客の目を見るのは3秒ぐらいにしときなさいとのことだ。視線の外し方であるが、相手の頭やあごを見たらよいということだが、禿げてる人の頭は見てはいけないし、男は女性客の場合、くれぐれも首より下に視線を落とさないよう気をつけなくてはならない。

3.伝える力

話が伝わる5つの要件(メディア力、意見、根拠、目指す結果、思い)

5つのうち2つ、意見と根拠があればおおむねオッケーとのこと

例えば、「メールでは込み入った話はできないので」(根拠)「会って話しましょう」(意見)
男は根拠なしに意見だけ言うことが多く、女は意見を言わず、ずーっと根拠ばかり話している…らしい
例えば男  「女子大生と話がしたい」としか言わず、根拠である「化粧品メーカーに勤務しているが、新商品の開発のため」というのを省くと、ただのいやらしいオヤジとしか思われない。女は言わずもがなです。だから?つまり何?とよくキレられています。

4.相談業務のコツ

ニーズを読み取る

これは、介護職に特に必要です。特に特にケアプランを作成するときに!わかっている人はわかっているが、わかってない人は全くわかってないというやつです。

5.聴く力

これも介護職にはなくてはならないものです。傾聴というやつです。全然傾聴していないのに、記録には「傾聴する」と書いている職員がいっぱいいます。屁理屈こねたり、説教したり、聞かれてもいないことをべらべらしゃべるのは傾聴でないばかりか、「聞く」でさえありません。当たり前のことですが、聞くとしゃべるは別です。

講師からのアドバイスを一つ

人は自分が話したい、まだ話し足りないと思っている間は、人の話を聞きません

聞いてるフリをしているだけだそうです

なるほど…後輩に注意するときなどもこの点注意ですな。でないと、あんだけ言ったのに、あいつまだわかってなかったのか!!?人の話聞いてんのか!?となるのですね

以上。ためになる研修でした
posted by カイゴのみょんみょん at 09:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

過労死こそないものの

先月、古本屋で『過労死と企業の責任』という、20年ほど前に出版された本を見つけた。過去の労働法については前々から興味があった。20年前といえば、時代はバブルが崩壊した頃である。1984年から1994年までの(10年間)、過労死の労災認定件数が出ているのだが、申請数に対し、認定数は1〜2割ほどである(平均)。申請数は400〜500ほどだ。バブルの絶頂期には800ほどになっている。平成20年度は900件ほど申請があり半数に認定がおりている。これは労災が認められるようになったということなのか。それとも過労死が増えたということか。両方かもしれない。

著者は労災認定の少なさを分析し、労働省(現・厚生労働省)と企業を厳しく糾弾している。

労働省が恐れているのは、保険財政問題以上に、労災認定がもたらす職場への影響であると思う。ある事件で業務上認定が出るということは、被災者の労働条件が過酷であったことを意味し、それは多くの場合、単に被災者個人の問題にとどまらず職場全体の労働条件の過酷さを意味する。したがって、労災業務上認定の効果は、狭い意味では保険金の支給という金銭面に限られるが、実際には、職場の労働条件の改善をうながす効果を生み出す。したがって、過労死の業務上認定の大幅増は、労働省が、日本の大企業を先頭とした職場の実態に正面から批判を加えることを意味する。このことは、過重な労働を当然のこととしている、多くの日本企業の労務管理の根底を揺るがしていく事態になりかねない。              弁護士・川人博


これって、まさに介護現場のことじゃないか?介護士は過労死こそしないが(死ぬ前に逃げ出したり、死ぬのはお年寄りだったり…かな?)過重労働を強いられている。前回グループホームにおける一人夜勤の休憩について書いたが、もしもこれを休憩と認めないとなったら、GHは存続が危ぶまれる。そうなるとGHを推し進めてきた厚労省は困る。失敗でした、ごめんなさいなどとは死んでも言わないだろう。過重労働に目をつぶらざるを得ない。介護士が夜間起きてくるお年寄りの世話をするのは、好意などのボランティアではない。しなければならない業務だ。つまり休憩時間は待機時間であり使用者の指揮、命令下にあるに決まってるじゃないか。それを厚労省計画化は「緊急事態が起こらない限り、就労しないことが保証されている時間帯」などと労基法を強引に捻じ曲げて解釈しているんじゃないか。省令は各省庁が法律をこのように解釈した、というものだが、どんな解釈をされても省庁の言うことだから黙って従えというのか?

川人さんは、過労死の認定がおりないと、「労基署が労災でないと決定したのだから」との理由で、単に労災保険の不支給にとどまらず、企業としての一切の責任が免責されてしまっている、とも指摘している。過労死が発生した後の職場改善においても、企業は、労災でないといって真剣に取り組まないのである、とのことだ。

法令遵守とよく言われる。法令に沿っている、法律に則っている。それは法治国家である以上当然である。しかし、敢えて言いたい。法律とは、道徳・倫理の下の下、最低ラインを示したものじゃないか。強者と弱者の間に公平な制度を置けば、それは強者を利すると言ったのは、森永砒素入りミルク事件を担当した弁護士・中坊公平である。100歩譲って法律を公平としているが、法律はそもそも公平などではない。法は正義ではなく、力であることは私でさえ知っている。そんな法律を楯にとって、法律で決まっているからというのは、合点が行きませぬ。
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2011年04月30日

取れない資格はすっぱい葡萄か?

イソップ童話に「キツネと葡萄」という話がある。キツネがたわわに実ったおいしそうな葡萄をみつける。食べようとして跳び上がるが、葡萄はみな高いところにあり届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんな葡萄はすっぱくいてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と捨てゼリフを残して立ち去る。フロイトの心理学では、防御規制・合理化の例になっている。欲しくてたまらないのに、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を価値がないものと見てあきらめ、心の平安を得るのである。つまり負け惜しみである。特養に勤務しているが、ケアマネ試験に落ちた職員がこのイソップのキツネのようなことを言っている。ケアマネの試験を受けるには、5年の実務経験が必要である。介護施設に5年もいればいっぱしのベテラン気取りである。ケアマネ試験の合格率は20%台である。10人受ければ2人ぐらいしか受からない。かっこ悪いのか、落ちた職員は、「多少勉強すれば受かっただろうけど」「ここではケアマネの資格はあってもどうせ使わない」「必要ない資格だからもう受けない」「ケアマネは余っている」などと言っている。施設全体にこのような雰囲気がある。ケアマネ試験は単なる一例である。全てにおいてこうなのだ。全体のレベルが低いところでは、自分のできなさは埋もれて見えないので安心である。向上しようという意欲など、このような環境の中ではなくて当然である。介護部長がヒステリックに職員のいたらなさを罵っているが、それが介護部長の望むことではないのか?向上心があれば、知識や技術を得ようとするし、そうすれば施設への不信感が出てくる。そうなると困る、だからそうならないよう、言われたことしかできない職員を育ててきたのではないのか?育てたように職員は育っているよ。
posted by カイゴのみょんみょん at 19:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月29日

介護の仕事に必要なのは筋力である

私が勤務する特養では、腰痛が流行っているらしい。介護施設なので、腰痛は職業病ではあるが、あまりに多くの職員が次々に腰痛で休職したり、入浴介助ができなかったりで、仕事に差し支えているということだ。講師を呼んで腰痛予防のストレッチを行うとまで言っている。私自身、4年前にこの仕事を始めて2〜3ヶ月ほど経ったころ、尋常では痛みに、腰というか下半身全体が襲われた。歩くことも、ただ立っていることもままならず、夜勤入りの日、病院へ行ったところ、即腰椎椎間板ヘルニアと診断された。とりあえずその日は痛み止めのブロック注射なるものを打ってもらい、夜勤はこなした。薬の威力はすごく、痛みは感じなかった。1ヶ月間薬を飲み続け、医療用のコルセットまで作ったが、2ヶ月ほど経った頃、自然に痛みはなくなった。医者からは、簡単には治らないと言われていたので、用心はしている。今でも無理をすると、それらしき痛みが出てくる。それでも今までなんとか仕事は続いている。どうしてよくなったのかわからない。自分の体は自分で守る、そう決めて意識的に体を動かしているだけだ。自民党政権の頃、麻生内閣で厚労大臣をしていた桝添要一は、母親の介護をしていて、やはりすぐにひどい腰痛になったそうだ。ストレッチをしようが、なにをしようが効き目はなく、誰かに聞いてやってみた「歩くこと」が一番効いたそうだ。ただただ歩いたそうだ。そして、腰痛は消えたという。体の使い方と筋肉がないことが腰痛の一番の原因ではないかと思う。介護の仕事は、よく歩く、体を使っていると介護従事者自身が思い込んでいるふしがあるが、そうでもない。私は介護の仕事に就き、運動不足が顕著だなと感じている。保育士時代に比べると、格段に仕事中の運動量が減っている。この仕事を続けるためには、足腰を鍛えることが必要不可欠である。腰痛になる職員に対し、あるベテラン職員が、「言ったとおりにやってないから。あんなやり方してたんじゃ腰も痛くなる」と会議の席で発言していた。こころない言葉だと思った。教育的立場にあるならそういったことも教えればいいのに。
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映画『ただいま〜それぞれの居場所〜』

先日、三好春樹さんの認知症の講習会があった。前半1時間半は『ただいま〜それぞれの居場所〜』という映画の上映であった。介護保険を使わない独自の泊まりサービスを実施しているデイサービスのドキュメンタリーである。最初に紹介されたのは「元気な亀さん」というデイサービスである。びっくりした。ありゃりゃ、こりゃまずい、介護者による虐待か?と思わず身構え、周りをキョロキョロ見回したぐらいだ。だって、20歳くらいのあんちゃんが、じいさんを起こすのにてばってて、とてもじゃないが、丁寧な言葉、態度、やさしい口調ではなかったからだ。だが、介護現場では、非常によく目にする光景なのである。介護従事者である自分でさえ、こういう光景をスクリーンを通して見ると、虐待か?!と思うのだ。外部の人は、自分のことをそうとう棚上げして、虐待だ!なっとらん!となるのではないか。よくぞ、こんな場面を撮ったなとも思った。紹介されている他の施設も、介護施設の見本となるようなことは全くしていない。制度に縛られず、柔軟にやっている。介護保険を使わない、というのは、ある意味「もったいない」「バカらしい」ことでもある。だって、ある制度を使わないなんて、ねぇ。だけど、制度ってなんのためにあるんだろう?使うため?必要だから制度ができた?制度バンザイ?では、使わにゃ損とばかりに使うとどうなるか?使いすぎ!金足りん!と言って、使用を制限したりするんだな。ところで、私は以前、児童養護施設に勤務していたのだが、トワイライトショートステイだかウィークエンドショートステイだかいう制度があった。これは、親に急用(出張や葬式か?)ができたとき、子どもを施設に預けられる制度である。施設長は、帰りたくても帰れない子どもがおおぜいいる中で、1〜2泊だけして帰れる子どもが気軽に施設を利用するのでは、他の子どもたちがかわいそうだと言って、この制度を利用していなかった。県の役人からは、せっかく制度があるのに使わないのはもったいないと勧められて、腹を立てていた。制度ができる背景にはいろんな要素がある。利害も当然からんでいる。純粋に必要としている人のためなどと、お目出度くも思っている人は、‘大人’であればいないだろうが、制度はよく知れば、???と思うものがいくつもある。お泊りデイサービスの制度化も、児童養護施設のウィークエンドに似てる。泊まる本人はそっちのけである。介護保険はもう、はなっから当事者そっちのけってかんじだけど。子どもと同じようなことになってしまっている。子どもはなんといっても、親権者である親が第一となる。親権一時停止など、子どもを守る方向に向かってはいるが、まだまだだ。介護保険の場合、家族というものが、あまりにも優遇されていることに驚く。しかも、”認知症ではない”家族でさえ理解が難しい内容だし。映画『ただいま』は、介護保険施設の狭い中で、もんもんとしている人にとって、こんな世界もあるんだと、突破口になるような作品である。おもしろかった〜
posted by カイゴのみょんみょん at 11:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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