2011年01月25日

息子ひとりの介護では手の一つ二つもでてしまうだろう

朝日新聞が「弧族の国」という特集をしている。社会から見放されたというか、あまり接触のない、助けを必要としているのに、声を挙げることができない、そんな人間ばかりを取材している。NHK無縁社会のパクリっぽいが…それはまあいい。そのサイトに、仕事を止めて、認知症の母親の介護をしている51歳の独身男性が紹介されていた。母親は徘徊がひどく、何キロも何時間もあとをついて歩かなければならず、それでもたびたび行方不明になり、連絡を受けては連れ帰るということを繰り返していたようだ。家の中にいればいたで、四六時中動き回り、独り言を繰り返す、水道の水は開けっ放し。外に出たくて玄関ドアを叩き続ける。昼夜関係なし。息子はそうとう参っていたようだ。思わず手をあげ、頭部に怪我をさせ、慌てて病院に連れてくが、医師からは、次は通報しますと宣告される。アルバイトも考えたが、デイサービスの料金を差し引くと時給は実質270円。施設入所のお金はない。母親の年金で生活するしかなかったようだ。たまに元同僚や友人から飲み会に誘われても、母親を置いて外には出られない。苦しい胸のうちを訴えたところでなんになるのか、そんな思いもあり、いつしか周囲に壁を築き、二人だけで閉じこもる日々になる。そこに風穴を開けたのが在宅介護を支援しているボランティアの人たちである。気になる親子がいるというケアマネからの訴えを受け、家を訪ねてきて、集まりに顔を出すようしくこく誘ったのである。そして、少しずつ話をするうちに、本でも書いたらとすすめられ、書いた本が『息子介護である。』日記を書いたこともないという息子が、真夜中にパソコンに向かって、つたなくも過激な表現で、孤立無援な日々に正気を失いかける心境をつづる。在宅介護をしている人も、施設に預けている人も、なによりも介護従事者にぜひ読んでもらいたい一冊である。著者の「息子」は鈴木宏康さんである。
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2011年01月06日

なんでも新人のせいというのはラクなもんですな〜

職場のプリンターを使っていたら2枚印刷したところで用紙が切れてしまった。チェッと思い、引き出しを開けて、紙を補充しようと思ったら空っぽである。こんなことはよくあることだ。ティッシュペーパー、ペーパータオル、洗剤などなど、切れたまんまのことなどしょっちゅうだ。ムカッとはくるが、それよりも腹が立つのは、そういったこと全てが新人のせいにされていることだ。この間の会議でも、みんな日々の業務はそれなりにがんばってるが、物品の補充ができてない、切れたままのことが多いと、指導男が言いやがった。私は異動直後、手洗い石鹸を棚に上げていないといって注意された。フロアの責任者から、あなたでしょ?絶対忘れないで、って。おい、まだそこ行ってないよ。ってかんじだった。物品の補充に対しても、誰かが補充してるからあるってことを忘れないでと言われた。異動2ヶ月で気づいたのは、介護技術もそうだが、それ以前に日常の業務をきちんとこなせない、できて当然の、どんな仕事にも必要なスキルが身についていない職員があまりにも多いということだ。新人には指導係が付いてみっちり覚え込まされるが、一旦自立するとほとんどチェックが入らない。次から次へと新人が入ってくるので、そこに手を取られるということもある。新人を抜けた職員は、チェックの目が新人にいくので緊張のタガが緩む。なにか不手際があれば新人のせいにされるのでなおさらだ。離職率の高い介護現場では1年経つと先輩面ができる。素直な人間はなんでも先輩を真似るので恐ろしい。とんでもない非常識がまかり通っている。半人前のまま、気分だけ一人前の人間が多いため、職場のレベルが低くなってしまうのだろうか。だが、半人前でありながら一人前の態度が許される職場とはどんなところだ?経験年数を経れば経るほど居心地がよくなる職場で、つまり時間と共に能力が高まる、という前提があるわけだ。お目出度い。正月だもん、お目出度くなくっちゃ!でもいつまでも正月気分ではいかんでしょ!!
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2010年12月30日

北朝鮮は対岸の火事なのだろうか

2ヶ月前、まだ異動して間もない頃、自分の職場を北朝鮮のようだと揶揄した。今改めて思うのだが、北朝鮮とは本当はどんな国なのだろう?国民は自分の国をどのように思っているのだろうか?メディアからみえる北朝鮮の姿は悲惨だ。国民の生活が破綻しているのに、国家行事というお祭り騒ぎに金を使っているバカな国家、とんでもない国家といったところだろうか。だが、当の北朝鮮国民にとって、悲惨な生活というのは板についた日常である。あまりのひどさに逃げ出す人はいるが、圧倒的大多数は、北朝鮮以外のことなど知らず、それが当たり前と思っているのではないか。他を知るからこそ比較できるわけで、知らなければそれまでである。私は今の北朝鮮のような職場で徐々に居心地がよくなってきている。日々の介護に対して、おかしい、よくない、改善すべきという思いはあるものの、最初ほどの罪悪感はない。利用者が食事を終えるのを待ち構えて、トイレ誘導し、すぐにベッドに寝かせることや、自分では全く身動きがとれない利用者を、5時半に離床させ7時半の朝食までそのまま放置しておくことも、「業務を早く終らせるため」仕方のないこととして受け入れている。他の職員と少しずつ話をするようになり、みな一人ひとりは普通の人であり、仕事が楽しいと思っていることもわかった。仕事が楽しいというのは、若い職員に多いようだ。おそらく同年代の子がたくさんいて、休憩時間やちょっとした空き時間におしゃべりしたりごはんを食べに行ったりできることが理由ではないかと思う。職場結婚が多いのも意外であった。本当に多いのだ。介護現場にそれほど男が多いということでもある。以前保育士だった時は、職場結婚などなかった。保育現場に男はゼロといってもいいくらいいなかったからだ。いろんな職業で男女の垣根がなくなっているが、保育は依然として女ばかりで、障害者や高齢者の介護は男がどんどん進出してきている。この違いはなんだろう?これはまたいずれ考えるとして、話は北朝鮮に戻る。小さな北朝鮮はどこにでもあるのだ。今の職場では利用者の生活を犠牲にして、それなりに職員の生活は保たれている。けっしてよくはないが、すごく悪いとはいえない。みな決められた居心地のよい範囲で、もっとレクしたほうがいいとか、オムツ交換の回数を1回増やしたほうがいいとか、それなりに考えている。クリスマス会や新年会、夏祭り、敬老会などの行事は職員の出し物でけっこう盛り上げている。みなそれなりに仕事をがんばっている。北朝鮮をひどい国だといって多くの人は笑う。北朝鮮は対岸の火事ではないか。ところで対岸の火事というのは他人事のことなのだろうか?対岸が火事なのに、なんの手も打たないというのは、なんだかのんびりしているような気がするが。
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2010年12月29日

私は勤務する施設の何が許せないのだろう?

週刊東洋経済に「わかりあえない時代の対話力入門」という連載がある。外務省出身の北川達夫さんが書いている。非常に面白い。9/25号の「組織の常識との対話、社会との適応と変革」から紹介したい。北川さんが外務省に入ったとき、先輩や上司からよく言われた言葉が「君さえ黙っていれば済むことだろう」であったそうだ。仕事を進めるうちに、何らかの不合理、あるいは不条理に気づき、解決すべきではないかと思い、先輩や上司に相談すると、きまってそう言われたとのこと。組織には組織の常識があり、それは往々にして個人の常識や世間の常識とは異なる。そこに大きな問題や病理が潜んでいることもある。新人のうちは組織の常識になじんでいないためか、そういった問題や病理を敏感に感じ取る。だが、それは誰もが承知している必要悪であったり、今さらどうしようもない問題であったりするので、問題視して騒ぎ立てることで得られる利益よりも、失われる利益のほうが明らかに大きい。新人が組織の常識になじむのは早い。そうしなければ、組織で生きていくことができないからだ。組織においては組織の常識に従って動く。その程度のことができなければ社会人失格の烙印を押されてしまうのである。と、このように説明したあと敢えて、物分りがよすぎることに警告を発している。誰もがものわかりがよすぎると、組織の現状維持には役立つが、組織を変革する力は生まれない。だが、社会や組織を絶対許せないという思いだけで事を起こすと、変革ではなく、謀反と見なされやすい。単なる私憤であり、人々から公憤という共感を得られない。それを避けるには、自己内の対話が必要である。なぜ自分はそれを許せないのか?なぜ他者はそれを許しているのか?どのように変革するのか?他者はそれを許すだろうか?このような対話的発想が、私憤から公憤を導き、社会や組織を変革する力を生み出す、とのことである。なるほど。実行に移すことは困難であろうが、暗闇を照らす仄かな明かりではある。私は現在特養に勤務しているが、今までいろんな人がいろんな提案をしてはポシャっているのを何度も目にしている。提案の内容は、それいいねと思うものもいくつかあったが、ほとんどがはあ〜?なんですかそれ?ってものばかりだった。そしてどれも説得力がなかった。他の施設はみんなやってるとか、そうするのがフツーだとか、そんな理由ばっかりだった。ユニット型の特養から従来型の特養に異動となって2ヶ月、びっくり仰天していたことにも慣れてしまった。すっかり組織に馴染んだようだ…そうとう危ない…変えたいなという思いはあるが、他の職員に話してみたり、会議の様子を見て、だめだこりゃとか思ってしまう。だが、そもそも自分自身なぜ変えたいのか、なぜ現状に我慢がならないのか、きちんと考えてみたことがなかった。私は組織の何に腹が立つのだろう?他の職員ははたして、何の疑問も持っていないのだろうか?検証が必要である。
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2010年12月24日

施設長は現場をまわらないものなのか?

「私ここの園長先生いっぺんも見たことないわ」ある利用者さんの言葉である。言われてみればそうだ、私も現場で施設長の姿を見たことがない。異動から2ヶ月経つが、施設長を1階の施設長室以外では見たことがない。前の職場でも施設長が館内をまわることは少なく、たまに来ては利用者さんにエラそうな態度で挨拶をしていたので、面白くはなかったが、今の施設長の来なさ加減は異常だ。単に怠慢であるとかそんなことだけではなく、何か理由がありそうだ。現場には顔を出さないという取り決めでもしているのだろうか、介護部長と…職員会議にはまだ一回しか出たことがないのだが、そのとき施設長が、警察騒ぎになったある事故と事務のミスについて話をした。今うちは睨まれてるからみんな気をつけてくれよ、みたいなことを鷹揚な(偉そうな?)態度で言っていた。元病院の事務局長かなんかだったらしい。接する機会がほとんどないので、どんな人物なのか全くわからない。雲の上の人、偉い人という印象を持たせることには成功しているようだ。ところで施設長の話では、法人は小規模多機能型施設を作りたいらしい。何年か前にトライしたがダメで、今度再チャレンジするようだ。5年前にユニット型の特養を作っている。新しいことをやりたいのはわかるが、その前に従来型の特養のほうをどうにかしてもらいたい。従来型のほうをほったらかしにしたまま、やれユニットだ、やれ小規模多機能だと張り切るのは無駄なことだ。なぜなら従来型のユニットや小規模多機能ができるだけだからだ。施設長は、法人はますます大きく成長したいと言っているが、大きくなったらどうなるんだろう?新しい施設を作るために今は職員を集めているところだが、できてしまうとまた足りなくなるな。小規模多機能の件ポシャらないかなぁ…
posted by カイゴのみょんみょん at 21:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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