2011年01月20日

他人を批判している場合じゃないのに

先日、リスク委員会に参加した。インシデントレポートの書き方があまりにもわからないので、勉強のため自主参加したのだが、およそ会議だの話し合いだの勉強会だのといったものがいかにムダで不毛なものか、ということを改めて実感した。事例として2つのインシデントレポートが用意してあったのだが、のっけから事故を起こした人を批判する職員がいた。インシデントレポートは職員批判ではなく、事故防止のためにある、と再三説明を受けた後にだ。びっくりすると同時にうんざりした。だが、説明する側はそういった職員に対して、何も言えないのである。他の職員も同じである。攻撃は最大の防御というが、自分に自信のない人間というのはとかく他人を攻撃しがちである。コンプレックスの裏返しとして強気の態度、攻撃性があるのだが、そういう人はペコペコする相手がいないと、とどまることがないのである。皆内心うんざりしながらも聞かねばならなくなる。私が介護現場での事故についていつも思うのは、勝手ながら「自分でなくてホッ…」である。どんな事故も自分であった可能性はきわめて高い。ヒヤリ・ハットなど日常茶飯事だからだ。なぜレポートを書かないかって?そんなものいくら書いたって事故防止にならないからだよ。私が勤務している施設でやってることはどれもひやひやすることばっかりで、私は毎日白刃の上を歩いてるような気分でいる。人が起こした事故を批判しているやつはお目出度いよ。私がまだ大きな事故を起こしていないのは、異動から日が浅いのと、たまたま偶然なだけだ。事故というのはおかしなもので、起こしたからと言って必ずしも批判されるというわけじゃない。誰が悪いかなんてそのときの成り行きで決まる。風向きひとつで、無傷で済む場合もあれば、火の粉をかぶる時もある。本当はみなわかっているのだと思う。委員会は1時間の予定が2時間近くかかってしまった。この手のダラダラ延びる会議が一番嫌だ。会議が延びるのは余計な発言をしたり、雑談したり、話が横道に逸れるからではない。主催者が時間通りに終らせないからだ。終るようにしようという気がないからである。必要な話し合いなら時間をかければよい。だが、惰性でいつもダラダラ時間をかけるのは本当にい・や・だ。これだけは自分自身肝に銘じたい。
posted by カイゴのみょんみょん at 18:16| Comment(0) | 介護事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月30日

グループホーム入居者死亡事件のことを覚えているだろうか?

5年ほど前に石川県のグループホームで起きた入居者死亡事件のことをどれだけの人が覚えているだろうか。私はまだ介護の仕事をしていなくて、他人事のように感じていた。かなり厳しい判決だなとは思ったが、それきりその事件のことは忘れていた。先日けあコミュニティhttp://care-comi.com/hanashi/ziken/ziken_2-01.htmというサイトをのぞいてみると、この事件の経緯がのっていた。懲役12年の判決が言い渡された後、被告は高等裁判所に控訴し、過酷な労働に対し情状酌量の余地ありとして、懲役10年に減刑されていた。さらに最高裁に上告するが、棄却され10年の刑は確定された。最初被告は殺意を認める証言をしていたのだ。だが、後に殺意を否認している。なぜ自分にとってあきらかに不利となる証言をあえてしたのか。被告は夜勤専門の非常勤職員で、仮眠は許されていなかったという。にもかかわらず被告は疲れのため夜勤中“うたたね”をしてしまったらしい。それがバレたらクビになる、あるいは正職員にしてもらえない…そう考えたようだ。だから被害者が火傷しているのを見ていたなどと言ったというのだ。バッカじゃない?殺意ありのほうがよほど悪いじゃないか!と誰もが思うだろう。だが、今の私は彼の咄嗟の嘘がわかる。私が勤務する特養では17時間の夜勤中30分ずつの休憩と仮眠(仮眠室も仮眠ベッドもなし。なにより時間なし。休憩を取っていない、というか取れない職員も多い)しかない。これではナースコールや利用者の危険行為など無視してしまいたいと思う。介護事故はすべてが職員の怠慢、不注意となる今の職場において、もしうたたねして誰かが転倒などしたら介護職失格どころか人間失格扱いである。介護事故は徹底的に追及される。まるで警察の尋問である。そこでは環境要因はいつも問題なしとされる。30人を一人で見ることは誰もがキツイと思いながら、それでも事故の原因とは決してされない。今さらながら、『あれは自分ではなかったか』と思う。異動したばかりの今の職場では、何を言っても個人の問題として却下される。このグループホームの事件は介護業界になにか教訓を残しただろうか?忘れ去られてしまったのだろうか?
posted by カイゴのみょんみょん at 21:08| Comment(0) | 介護事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月25日

警察官がやってきた…

先週の夜勤入りの日、朝の申し送り用紙を読んで仰天した。警察の現場検証?があったとのこと。あるユニットの利用者の胸から肩にかけて大きな皮下出血ができていて、家族からクレームがあり、大騒ぎだったことは知っていた。夜中の1時頃までユニットの職員全員が残っていたことも聞いていた。だが、家族が警察まで呼んでいたことは知らなかった。いったいどれほどの外傷だったのか。今後のために是が非でも確認しておかねばと思い、すぐに当該ユニットまで行き、利用者さんの体を確認した。1週間ほど経過した後のようで、すでに皮下出血は黄色くなっていた。家族が発見したときには、まだ赤紫色だったであろうと思われる。家族が見れば、虐待か!?と思わないでもない、わりと広範囲にわたる皮下出血である。だが正直なところ、私は今までこの程度の皮下出血は何度かみたことがある。もっとひどいのも、実は自分の担当ユニットで見たことがある。誰ひとりとして、少なくとも表向きは問題にしていなかった。なぜなら、家族が知らなかったからだ。下腹部から内腿にかけてという箇所だったこともあり、面会にはよく来る家族であったが、トイレの介助は職員まかせであったので、知る由もなかったのだ。知らなければ騒ぎようもないし、たとえ知っていても、黙って引き下がるしかないと思う家族もいるだろう。ほかの事故も似たようなものだと思う。事故報告書は書いて提出されたが、ただそれだけである。今回のこの警察騒ぎで、やれ連絡体制がどうの、記録は詳細に書け(何ヶ月か前に、日々の決まりきったことは書くな、何かあった時だけ書けばよいなどと看護部長より通達があったのだが)利用者に対する言葉使いや態度に気をつけろと書かれた事故報告書のようなものが全ユニットに配布された。この事件で2つのことが身に沁みた。まず、たまたま自分の担当ユニットではなかっただけで、自分も当事者になる可能性は大であると思った。警察沙汰になったのは自分の担当するユニットであったかもしれないのだ。決して特殊な、特にひどいインシデントというわけではないのだから。他人事ではない。当たり前のことなのに、今頃になってようやく人の体を扱う仕事なんだ、丁寧に扱わなければいけないのだと実感した。もう一つは、事の重大さというのは当事者や家族がどれだけ騒ぐかということで決まってくるのだと妙に冷めた気持で思った。今さら何を、と思う人もいるだろう。私はぼんやりしているので、薄々ぼんやりとは感じていたのだが、今回の事件がなかったらまだ、施設側の一分の良心や倫理を信じていたかもしれない。皮下出血か、骨折か、入院か、死亡か、そんなことはもはや問題ではない。痰や飲食物を詰まらせた窒息死であっても関連病院に搬送されれば、心不全だかなんだか知らないがもっともらしい死因になるのだ。家族が納得すれば、はい終了。記録の改ざんも嘘の報告も聞いて聞かぬフリ、見て見ぬフリ、噂は巡るが、施設トップは頬っかぶりである。最後の審判が下される時、私はまだまごまごとこの施設でくすぶっているのだろうか、遠い先の話ではなく、すでに間近に迫っているのだろうか…
posted by カイゴのみょんみょん at 10:53| Comment(1) | 介護事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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